2007年08月08日
燃える闘魂 アントニオ猪木
やはり最高の格闘家といったらアントニオ猪木以外にいないでしょう。強さ、存在感然り、パフォーマンス然り、プロとしてのカリスマ性は他に類をみないと私は思っております。
そんな猪木のプロフィールを今日は紹介したいと思います。
アントニオ猪木(アントニオいのき、英語表記:Antonio-Inoki、1943年2月20日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロレスラー、元参議院議員。本名は猪木 寛至(いのき かんじ)。血液型AB型。公称身長190cm~191cm、公称体重102kg~112kg。身長に関しては、元新日本プロレスリングレフェリー・ミスター高橋の著書によると実寸身長は公称身長より5~6cm程度低いとのことであり、185cm位であると思われる。新日本プロレス創始者で元オーナー。愛称は「アントン」。今日の日本のプロレス・格闘技の歴史を語る上で(猪木自身は、プロレスと格闘技を区別することを嫌っているが)、力道山、ジャイアント馬場と並んで欠く事の出来ない存在であり、多くの世界のプロレスラー・格闘家に影響を与えている存在である。1995年には北朝鮮で、スポーツと平和の祭典を開催している。この大会では2日間で38万人の観客を動員した。
■プロフィール
横浜の石炭問屋を営む裕福な一家に生まれる。猪木5歳の時に父親は死去。戦後、エネルギー源が石炭から石油に変わったこともあって実家の石炭問屋は倒産し、14歳の時に母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り(長兄は同行せず。祖父は渡航中に毒性のあるまだ青いバナナを食べて死去)、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。
ブラジルへ移住した最初の1年半は、農場であまりにも過酷な労働を強いられた。コーヒー豆などを収穫する作業が中心だったが、作業のたびに手の皮がずる剥けになり血まみれになっていたという。1年半の契約だったため逃げることはできなかった。他の農場の脱走した者たちの中には牧場主に射殺された者もいたという。 あまりにも過酷なため、作業が終わり与えられた電気も通っていない小屋に戻り着替えるためにTシャツを脱ぐと、Tシャツに染みこんだ汗の塩分のため、Tシャツが固まって立ったほどだったという。 猪木の精神力はこのブラジルでの生活で強く培われたと言える。その後、現地の砲丸投げ大会に出場、優勝した際、たまたまブラジル遠征に来ていた力道山の目に留まる。これが猪木の人生を大きく変えた運命的な出会いとなる。この時、力道山に「日本に行くぞ」とスカウトされてプロレス界入りした。猪木はこの出会いを振り返り、”本当に自分は運がいい”と今でも語っている。
リングネームは、先輩レスラー豊登道春による命名である。当時の名レスラー、アントニオ・ロッカにあやかって名付けられたという説が一般的であるが、単にブラジル帰りを強調するため洋風な名前にされたということらしい(本人曰く「アントニオという名前は日本で鈴木や佐藤という名前が多いようにブラジルではありふれた名前」とのことであるが、実は苗字ではなくファーストネームであり日本でいえばひろしやたけし)。まだリングネームが決まる前に出演したテレビドラマ『チャンピオン太』での役名「死神酋長」を気に入った力道山によりその名をつけられそうになったが、猪木自身はそれが気に入らず、その名前を付けるのであればやめるとまで言ったとの逸話もある。
また力道山は猪木を日系ブラジル人として売り出そうとしていた。これは南米での興行を成功させる布石でもあり、弟子入りのために帰国した際には「日本語は話せますか?」と記者に問われた。その記事を見た横浜在住時の猪木の幼馴染が日本プロレスの道場を訪ね、「お前は横浜にいた猪木だろ?」と質問したが、猪木は「違う」と貫き通した。猪木自身が「横浜生まれ」だということを公にしたのは力道山が亡くなった後である。
キャッチフレーズは「燃える闘魂」、これは当時テレビ朝日プロレス中継アナウンサーの舟橋慶一の命名である。初めてのアメリカ武者修行時代のリングネームは「リトル・トーキョー・トム」(ロサンゼルスにある日本人街と同名)。
得意技は卍固め、コブラツイスト、延髄斬り、選手としての晩年ではスリーパーホールドを多用した(一般に“チョークスリーパー”と呼ばれているが、プロレスではチョーク攻撃は禁止されており、これは実況アナウンサー辻よしなりの完全な誤認であると、解説(当時)のマサ斉藤も言っている)。「イノキボンバイエ」のフレーズを持つ入場曲『炎のファイター』は、元々モハメド・アリの伝記映画『アリ・ザ・グレイテスト』の曲であったが、猪木と対戦したアリが、猪木に贈りアレンジしたものとされる(真相は猪木のマネージャー新間寿がアリ側にお願いして無理矢理そういうことにしてもらった)。ちなみに「ボンバイエ」とは、「Boma ye(ボマ・イェ)」(リンガラ語:彼を殺せ!)が訛ったもの。アリがコンゴの首都キンシャサでジョージ・フォアマンと戦った際の声援が由来とされている。
最近はあまりメディアに登場しなくて残念ですが、私の猪木愛は変わりません。
さぁみんなで叫びましょう「1、2、3、ダー!」
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- at 13:35
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